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交換日記レンタル - nikkijam

2019/06/10(月) 23:55:30
タイトル 神風と悪党の世紀


神風と悪党の世紀

海津一朗

講談社現代新書 1995
ISBN:4061492438


 13世紀と14世紀の日本には、こうした神を味方につけて天変地異に乗じようとする動きが際立っている。
 とくに1310年の紅梅殿事件で見せた北野社による理不尽な暴挙や、祇園社の居住者追放事件などに始まった一連の騒動は、いささか異常であった。何が異常かというと、国内のちょっとした敵対者たちを異国人同様の「悪党」とみなし、これを寺社権力が徹底して差別するようになったのである。これを一言でいえば「在地人の既得権侵害と悪党弾圧のムーブメント」ということになるのだが、そこに、数百年にわたって沈静していた神話的な力がにわかに復活し、そうしたムーブメントが“神の戦争”と解釈されたこと、そのことが異常だった。
 結局、蒙古襲来をきっかけに、“神の戦争”を名目とし、殺生禁断を建前とする寺社領域の拡張と寺社造営とが全国的に広まったため、山野河海をネットワークしながら生活の場としてきた民衆やそのリーダーたちが苦境に立たされたのである。悪党とはそうした苦境に立たされたリーダーのことでもあった。本書は、そうした風潮が「神国日本」のイデオロギーをつくりあげたのではないかと主張する。

2019/06/09(日) 00:29:10
タイトル カメラ・オブスクラ年代記 今日の気分引用


カメラ・オブスクラ年代記

ジョン・ハモンド

カメラ・オブスクラとラテルナ・マギカの、二つの光学装置にぞっこんだった。ラテルナ・マギカとは幻燈器のことをいう。

カメラとはラテン語で「部屋」という意味である。オブスクラは「暗い」という意味だった。暗い部屋、それがピンホールによって影像を映し出したカメラ・オブスクラというマジック・ボックスの意味である。まさしくカメラの曾祖父にあたる。

2019/06/06(木) 22:34:16
タイトル オルレアンの少女


 ジャンヌ・ダルクにまつわる出来事からは、いくらでも議論を掴み出すことがてきる。だいたいフランスには「この国は一人の女によって滅び、一人の女によって救われる」という諺があるのだが、この国を滅ぼした女は王妃イザボーで、国を救った女がジャンヌ・ダルクなのである。この二人がどのようにオルレアンをめぐったかということが、まさにジャンヌ・ダルクの時代の象徴的な対比になっている。
 火刑になったジャンヌ・ダルクからキリスト教の異端の歴史や魔女裁判の背景を引き出すこともできる。また、ジャンヌ・ダルクが受けた神の啓示に注目すれば、ビンゲンの修道女ヒルデガルトに始まる幻視(ヴィジョン)の歴史を繙くこともできる。あるいは「神と処女」というヨーロッパにひそむ問題に焦点をあてることも可能であった。
 そもそもジャンヌ・ダルクという名は当時の名ではなくジャネットという愛称か、ジャンヌ・ラ・ピュセルと呼ばれていたのだが、この「ピュセル」は処女とか乙女とか生娘いう意味なのだ。ジャンヌ・ダルクとは「生娘ジャンヌ」という呼称だったのだ。
 これらの視点のいずれも、すでに研究者たちが熱中して議論してきたことである。

2019/06/05(水) 16:46:11
タイトル マルクハーン 今日の気分引用


グーテンベルクの銀河系

 ついで、この声の認識を文字や記号に移す時代がやってくる。ロゴグラムである。
 古代ギリシアや古代ローマでは、ロゴグラムはただちにアルファベットに進化し、この文字は一連の表音文字となる(アジア世界はマクルーハンのばあいは無視されている)。表音文字によって対象世界は目で確認できるシンタックスをもった。
 それでも、その文字は声を出して読まれ、対象世界は聴覚的回路を通して原初の触知的世界像にむすびついていた。すなわち、古代ではあらゆる文字は「音読」されていたのである。
 文字を音読しているかぎりは、触知的世界像と聴覚的世界像と文字的世界像はまだまだ同質的(connatural)だった。
 ここまでもいい。(略)
 こんな画期的なツールはなかった。そこは表意文字とは大ちがいである。
 ただし、この画期的なツールが「音読」されているかぎり、音がすべてをつなげているかぎり、なのである。すなわち、スペルが声であり、スペルが聴覚的世界像とつながっているかぎりは、よかった。
 実際にも、長いあいだ、人々は本を声を出して読んでいた。中世においてもだれも「黙読」はできなかったのであり、写本にあたってもいちいちスペルを声にしながら書き移された。
 だからこそ、中世文化は朗読法と吟遊詩人と口述世界によって形成されていた。
 しかし、こうしたこのとのすべてが、活版印刷の出現によって解体されていく。そして、問題が大きくなるのはここから先なのだ。

 マクルーハンは、印刷文化が人間の経験を解体し、知性と感性を分断したと見た。

2019/06/05(水) 09:45:19
タイトル 鎌田 東二 今日の気分引用


  1. 神は在るもの、仏は成るもの。
  2. 神は来るもの、仏は往くもの。
  3. 神は立つもの、仏は座るもの。


そして神は去る。

2019/06/04(火) 20:08:20
タイトル アンデルセン 今日の気分引用


 ハンスがコペンハーゲンに来たのは1819年の9月6日である。
 そのころのコペンハーゲンはヨーロッパでも有数の10万都市ではあったものの、15年ほど前にイギリス艦隊に砲撃され占拠された後遺症をまだ回復していなかったころで、城郭の中の町並も完全には蘇っていなかった。それでも田舎の貧乏青年には目をみはる“花の都"なのである。
 とくにコペンハーゲンの城郭に近づいて、市の門を入るときに名前を書きつける“儀式”には、青年たちはことさらに緊張をした。この帳面は、毎夕、門が閉ざされると王様の前にもっていかれ、王様がこれをじきじき閲覧するようになっていた。
 それほどのんびりしていた時代だった。が、そのことが物語を生む羂索になった。ハンスも「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」と黒々と署名して、これが王様の目にとどくのかとおもうと体に熱い鉄線がはしったような気持ちになったらしい。
 この時代の童話に、しばしば王様やお姫さまや熱心な家来が登場して、物語を飾るのもこうした背景にもとづいていた。それは昔の話ではなかったのである。

2019/06/04(火) 18:41:42
タイトル カルロ・ギンズブルグ 闇の歴史 今日の気分引用


カルロ・ギンズブルグ 闇の歴史

神話・寓意・徴候
ペナンダンティ

 ギンズブルグが「片足で立つ者」や「片方のサンダルにこだわる者」の伝承に関心を集中させたことには、研究者としての凄みを感じさせた。
 ギリシア神話には、テーセウスが大岩を持ち上げたときに発見したものの話が出てくる。テーセウスはそこに剣と黄金のサンダルを発見したのだ。大岩を持ち上げることができたのはテーセウスが成熟した年齢に達したことをあらわしている。そうだとしたら、そこに黄金のサンダルを発見できたのは、その成熟した力が他人に譲渡可能になったことを意味していたのである。まったく同じ経緯がペルセウスの物語にもあらわれている。ペルセウスはゴルゴンとの闘いの前にヘルメスから魔法のサンダルを片方だけもらうことによって、闘いに挑めたのだった。
 テッサリアの英雄イアソンの物語では「片方のサンダルをはいた男」のことがイアソンが王位を得るための最も重要な隠れモチーフになっているのだし、イアソンは、頼まれるままに老婆を背負って川を渡ったときに片方のサンダルを流してしまうのだが、その老婆こそは身がもヘラの化身だったせいで、イアソンの栄達が完成するのである。
 これでおよその見当がつくように、実は誰もがよく知るシンデレラの物語とは、この片方のサンダルをめぐる物語の子供向けの集大成だったのだ。シンデレラはガラスの靴を片方だけなくさないかぎりは、幸せにはなれなかったのである。それは古代神話以来、そのような宿命を背負った物語のセオリーだったのである。

2019/06/04(火) 18:18:25
タイトル object


ここには「オブジェクトはたんなる対象であるわけがない!」という見通しが躍っている。
 実際にも、初期のオックスフォード辞典では、オブジェクトとサブジェクトの意味は、われわれがいま使っている意味とは半ば逆の意味をもっていたのである。神学上の意味あいが強かったのだが、オブジェクトは神に向かうための方向や目標をあらわしていて、サブジェクトはその神に従事するものをあらわしていた。もっとわかりやすくいえば、神とサブジェクトのあいだにあるものがオブジェクトなのである。
 そんなことを持ち出さずとも、まさにオブジェクトは「見当」というべきかもしれない。そこへ向かうための目印こそがオブジェクトなのである。そのように見ることがまた、それこそ数学的自由であって科学的愉快というものであろう。

 高木貞治の数学ダンテイズムは時代や文化や社会にも切れ味を発揮していた。本書の付録に入っている「回顧と展望」にはこんなことを書いている。たいへんに示唆深い。
 数学には「三つの大きなA」がある。クラインがよくそのことを強調した。Arithmeti、Algebra、Analysis
である。この統合こそが数学だった。そう、高木は見た。それが最近では、みんなみんな「一つの小さなa」ばかりを追いかけている。それは
abstract である、と。

2019/06/03(月) 22:37:49
タイトル ドリアン・グレイの肖像


ドリアン・グレイの肖像


オスカー・ワイルドより

ヘンリー・ウォットン卿



映画見るもの

・おとなのけんか
・メッセージ

2019/06/03(月) 16:12:34
タイトル memo


ロビン・マランツ・ヘニッグ

ウイルスの反乱

原題・ダンシング・マトリックス

 「タンパク質に包まれた悪い知らせ」


 ウィルスは細胞ではない。核もないし細胞質もない。ウィルスは一層あるいはそれ以上のタンパク質の餃子の皮か、ミルフィユに包まれた極小きわまりない遺伝物質なのである。